被災地の「今」を記録する|熊本で聞いた現場の声と次の災害への課題

熊本で、地元の各業界・団体の皆さんと意見交換をする機会がありました。

この場には、自民党青年局の全国の仲間、国会議員、県議会議員、市町村議会議員など、約60人が参加しました。

発災から間もない中、現場では今も復旧や支援が続いています。

自分自身や家族が被災している方。

通常の仕事を続けながら、支援活動に動いている方。

地域の事業や暮らしを守ろうとしている方。

そうした皆さんが、非常に忙しく、大変な状況の中で時間をつくり、

「今、現場で何が起きているのか」

「何に困っているのか」

「これから何が必要なのか」

を直接話してくださいました。

この声を、その場限りの意見交換で終わらせてはいけない。

私はそう感じました。

この記事では、当日聞いた話をできるだけ省略せず、発言の趣旨を損なわないよう整理して残しておきたいと思います。

目次

罹災証明の申請支援|行政書士の現場から

最初に聞いたのは、行政書士の皆さんの活動です。

現在、被災した自治体の罹災証明書の窓口などに行政書士を派遣し、申請支援を行っているとのことでした。

高齢の方や、病院に入院している方など、自分で申請に行くことが難しい方のところへ行政書士が出向き、罹災証明の申請を支援する取り組みも始まっています。

災害後の支援制度を受けるためには、罹災証明が入口になることが少なくありません。

だからこそ、

「申請できる人だけが支援を受けられる仕組みにしてはいけない」

という考え方が印象に残りました。

一方で、10年前の熊本地震と比べると、電子申請がかなり普及し、窓口に長時間並ぶ負担は減ってきているそうです。

これは確かな進歩です。

しかし、新しい課題もあります。

マイナポータルから申請する際には、マイナンバーカードや暗証番号などが必要になります。

災害直後の混乱した状況で、

「暗証番号を覚えているだろうか」

「高齢者が自分で手続きできるだろうか」

という課題も現場から示されました。

デジタル化するだけではなく、災害時に本当に使える仕組みになっているか。

ここまで考える必要があると感じました。

平時につくった「横のつながり」が動いた

商工関係の青年団体からは、発災直後の連携について話がありました。

複数の青年経済団体が情報を共有し、

「どこで何が必要なのか」

「どの物資をどこへ届けるのか」

を確認しながら支援を進めたそうです。

この連携は、今回突然できたものではありません。

10年前の熊本地震を契機として団体同士のつながりをつくり、その後も連携を続けてきたことが、今回の初動につながったという話でした。

災害が起きてから、

「一緒にやりましょう」

では遅いことがあります。

平時につくった関係が、災害時に力になる。

これは非常に大きな学びでした。

一方で、被災地域では事業を再開できていないところも多く、休業や事業継続への支援も求められています。

支援物資を届けるだけではなく、地域の事業者が再び立ち上がれるところまで考えなければ、地域そのものの復旧にはつながりません。

い草農家から聞いた「来年をつくれない」という危機

特に切実だったのが、八代地域のい草農家の話でした。

地震によって農業用施設が倒壊した農家があります。

しかし、被害は建物だけではありません。

建物そのものには大きな損傷がなくても、地震の揺れによって畳表を織る機械が倒れたり壊れたりし、使えなくなった農家も多いとのことでした。

い草農家にとって、この機械は単なる設備ではありません。

育てたい草を畳表に加工し、収入につなげるために欠かせないものです。

機械が使えないということは、事業そのものを続けられない可能性があります。

さらに深刻なのが、来年産のい草です。

今は、来年の生産へ向けた準備を始めなければならない重要な時期。

ところが、地震の影響で用水路に水が来ていない地域があり、来年産の準備そのものができない農家も出ているそうです。

つまり今回の災害は、

「今あるものが壊れた」という被害だけではありません。

「来年、作ることができないかもしれない」

という未来への被害でもあります。

しかも、この地域の農家は、以前の水害からまだ完全に立ち直っていない中で今回の災害を受けています。

現場からは、

「もう一度設備を直してまで農業を続けるのは難しい」

「これだけ災害が続くのであれば、廃業を考える」

という声も出ているとのことでした。

これは、一軒の農家だけの問題ではありません。

い草農家が減れば、生産量が減る。

畳産業にも影響する。

関連する雇用が失われる。

長年培われてきた技術も失われるかもしれない。

一度失われた産業を、後から取り戻すことは簡単ではありません。

だからこそ、建物だけを見るのではなく、機械や農業用水、次の生産まで含めた支援が必要だという訴えでした。

そして最後に、

「災害を農業を諦めるきっかけにするのではなく、もう一度続けられるきっかけにしてほしい」

という趣旨の言葉がありました。

非常に重い言葉でした。

復旧を支える建設業にも、人が足りない

建設業の皆さんは、発災直後から復旧に動いています。

24時間体制で対応している事業者もあるとのことでした。

道路を開ける。

土砂を撤去する。

壊れたインフラを直す。

災害時、建設業は地域を支える非常に重要な存在です。

しかし、その建設業自体が人手不足と高齢化に直面しています。

復旧工事を一気に進めようとしても、人がいない。

入札をしても、受ける事業者がいない。

不調・不落が起きれば、さらに復旧が遅れる。

ここには非常に難しい問題があります。

さらに、10年前の熊本地震からの復旧についても興味深い話がありました。

数年間に復旧工事が集中すると、その期間は多くの仕事があります。

しかし、復旧が終われば仕事が急激に減る。

結果として地域の建設事業者が廃業する。

そして次の災害が起きたとき、

「復旧する事業者がいない」

という状況になってしまう。

復旧を早くすることだけを考えるのではなく、

次の災害にも対応できる地域の建設業をどう残すのか。

そこまで含めて復興を考えなければならないという話でした。

道路が止まれば、救急車も消防も止まる

道路や橋など、インフラについても強い訴えがありました。

今回も道路被害が大きく、橋が使えなくなったことで交通が集中し、大渋滞が発生した地域があったそうです。

救急車。

警察。

自衛隊。

消防。

こうした車両も、道路が通れなければ前へ進めません。

災害時の道路は、単に便利な交通手段ではありません。

命をつなぐインフラです。

一本の道路が使えなくなっても、別の道路から入れる。

橋が使えなくても、別のルートがある。

道路ネットワークを強くしておくことが、災害時の命を守ることにつながる。

改めて、その重要性を感じました。

「支える看護師」も被災している

看護の現場からは、災害時の人材派遣について話がありました。

全国から多くの看護職が被災地に入り、現地の医療を支えています。

これは非常に大きな力になっています。

しかし、現場の看護師自身も被災者です。

自宅が被害を受けている。

家族も被災している。

自分自身が決して「大丈夫」ではない中で、

患者さんに、

「大丈夫ですか」

と声をかけ、働いている。

そうした現実があります。

外から人材が入ることは、業務を補うだけでなく、現地の看護師が少し休むためにも重要だという話でした。

一方、人材を送り出す病院にも負担があります。

もともと余裕のある人員配置ではありません。

誰かを被災地へ派遣すれば、送り出す側の職場では人が一人減ります。

さらに、支援を受け入れる側も、派遣されてきた人の業務を調整しなければならない。

「人を送れば解決」というほど簡単ではありません。

そしてここでも、

支援する人を、誰が支えるのか。

という課題が出てきました。

原状復旧で、本当にいいのか

幼稚園の現場から出た話も、非常に考えさせられました。

災害で施設が壊れ、補助制度を使って修復しようとすると、基本的には「原状復旧」が求められることがあります。

つまり、

壊れる前と同じ状態に戻す。

しかし、現場からは疑問が出ていました。

10年前の地震で壊れたところが、今回もまた壊れている。

例えば、タイルが落ちた。

ガラスが割れた。

では、それをまた同じタイル、同じガラスに戻すことが、本当に子どもたちの安全につながるのでしょうか。

「次はタイルではなく、別の安全な構造にしたい」

と考えても、それが「復旧」ではなく「改修」と判断される場合がある。

制度として線引きが必要なことは分かります。

しかし、

次の災害でも壊れる可能性が分かっているものを、元と同じ形に戻すことが本当に復旧なのか。

私はこの問いは非常に重要だと思いました。

元に戻すだけではない。

次に同じ被害を起こさない。

その考え方が必要です。

保育士も、被災者

幼稚園や保育園からは、もう一つ共通する話がありました。

子どもを守る側の職員自身も、被災者だということです。

自宅を片付けなければならない。

家族のこともある。

買い物をしようにも、近くの店が通常通り営業していない。

それでも子どもたちが来れば、保育を続ける。

「保育者の犠牲の上に保育が成り立つのはつらい」

という趣旨の言葉もありました。

これも看護と同じです。

支援する人だからといって、被災していないわけではありません。

お迎えの時間に地震が起きた保育園

保育園からは、発災時の状況も聞きました。

地震が起きたのは、保護者がお迎えに来る時間帯。

園児、職員、保護者が動く非常に混乱しやすい時間だったそうです。

その中で大きな事故がなかったことは救いでした。

一方、被害が大きかった地域ではすぐに通常保育を再開できず、

午前中だけ。

その後、少しずつ時間を延ばす。

というように、段階的に保育を再開した施設もあります。

また、井戸水を利用している施設では、水が復旧しても濁りが残り、給食を作れないという問題も起きました。

支援物資の水を使う。

近隣の水が出る場所から運ぶ。

地域の弁当店と協力する。

そうした横のつながりで対応したそうです。

一方で、ICT化が進み、保護者への連絡をアプリで送ることができたことは、10年前と比べて大きく進歩した点として紹介されました。

災害時に、

「子どもは無事です」

という情報を保護者へすぐ届けられる。

これは非常に大きな安心につながります。

災害廃棄物|平時の準備が初動を変えた

産業廃棄物の処理に関わる団体からは、災害廃棄物について話を聞きました。

現在、県内各地で災害廃棄物の仮置場が開設され、多くのスタッフが運営にあたっています。

ここで非常に参考になったのが、

平時から仮置場の候補地を決めていた

という話です。

災害が起きてから、

「どこに集めるのか」

を考えるのではない。

あらかじめ候補地を決め、災害時にすぐ開設できる準備をしていた。

そのため、要請後すぐに動くことができたそうです。

これはまさに、事前防災です。

一方で、通常業務を続けながら仮置場にも人を出すため、人員不足は深刻です。

重機。

車両。

運転手。

作業員。

すべてに人が必要です。

長時間労働による事故も心配されています。

大量の災害廃棄物を処理する復旧作業は、これから長期間続きます。

災害廃棄物は、災害直後だけの問題ではありません。

行政との「直接つながる仕組み」

商工会議所青年部からは、初動についての課題が示されました。

今回、被害の大きかった地域に自分たちの組織がないところもあり、

「何かしなければ」

と思いながら、最初はどう動けばよいのか分からない場面もあったそうです。

その中で他団体との連携が機能しました。

一方、今後に向けて、

災害マニュアルの見直し。

行政と直接やり取りできる体制。

初動の仕組みづくり。

こうした準備が必要だという話がありました。

ここでもやはり、

平時につながっているかどうか。

が災害時の動きを左右します。

高齢者・障害者の「困っている」が見えない

介護や障害福祉の現場から聞いた話も非常に重要でした。

発災の翌日から現地を回り、施設やグループホームなどを一軒一軒確認したそうです。

停電。

断水。

冷房が使えない。

水がない。

発電機がない。

暑さの中で生活する高齢者や障害のある方々に、水や発電機、スポットクーラーなどを届けたとのことでした。

しかし、難しいのは、

困っていても、自分から「困っています」と伝えられない人がいる

ということです。

高齢者。

障害のある方。

日頃から支援が必要な人ほど、災害時には声が見えにくくなることがあります。

だからこそ、実際に現場へ行き、一軒一軒確認する必要があった。

その後、相談支援専門員など地域を把握している人との連携ができるようになり、

「ここに水が必要」

「この施設に物資が必要」

という情報が集まるようになったそうです。

情報の共有ができれば、支援の形も変わります。

福祉も「人」がいなければ続かない

介護・障害福祉でも、人材不足が大きな課題になっています。

被災地へ人を送りたい。

でも、自分たちの施設の利用者も守らなければならない。

日頃から余裕のある人員を抱えているわけではありません。

そこで必要になるのが、地域を越えた広域的な人材派遣です。

また、災害時には人員配置基準やさまざまな手続きについても、通常時とは違う柔軟な対応が必要ではないかという提案もありました。

そしてもう一つ。

福祉施設には多くの高齢者や障害のある方が生活しています。

だからこそ、施設そのものを防災拠点として考え、

水。

電源。

物資。

人員。

通信。

そうした備えを平時から持っておく必要があるという話でした。

「支援する人を支援する」という課題

各団体からの話を聞いていると、何度も同じところにたどり着きました。

看護師。

保育士。

介護職。

行政職員。

建設業。

廃棄物処理。

地域団体。

災害時に誰かを支える人たちも、同じ地域で暮らす被災者です。

自宅が被災していても働く。

家族のことが心配でも働く。

自分が休みたい状況でも、誰かを支える。

これまで災害対策では、

「被災者をどう支援するか」

が中心だったと思います。

しかし同時に、

「被災者を支えている人を、どう支えるのか」

という仕組みも必要です。

この点については、国会議員側からも、今後制度として考えるべき重要な課題だという認識が示されました。

「同じ課題を、また繰り返している」

国会議員側からは、熊本が10年前の大きな地震を経験しているにもかかわらず、今回も同じような課題が出ていることへの問題意識も示されました。

災害のたびに同じ課題が出る。

避難所。

情報共有。

人材。

支援者支援。

インフラ。

原状復旧。

これを、

「災害だから仕方がない」

で終わらせてはいけません。

災害が起きるたびに一つずつ改善する。

前回より少しでも良くする。

それが災害の経験を次へつなぐということだと思います。

「原状復旧」について、その場で確認へ

特に印象的だったのが、幼稚園から出た「原状復旧」の話への反応でした。

国会議員側から、

「同じ場所がまた壊れることが分かっているのに、同じ形へ戻さなければならないのはおかしいのではないか」

という問題意識が示されました。

国の制度そのものがそうなっているのか。

あるいは、国の制度を県や市町村が厳しく解釈しているのか。

そこを確認するという話もありました。

現場の声を聞く意味は、こういうところにもあると思います。

制度を作る側が想定している運用と、現場で実際に行われている運用が違うことがあります。

だからこそ、

「本当にそうなのか?」

と確認することが必要です。

聞いた側にも、責任がある

意見交換の中で、一つ、私自身が強く感じたことがありました。

現場から出された要望について、

「親団体とも一緒に、国や政府へ要望を上げてほしい」

という趣旨の話がありました。

もちろん、さまざまなルートから声を届けることは大切だと思います。

しかし私は、その言葉を聞きながら、

少し違うのではないか。

とも感じました。

この日、話をしてくださった皆さんは、被災対応の真っただ中にいます。

自分自身や家族が被災している方もいる。

通常の仕事を続けながら、復旧や支援に動いている方もいる。

そんな中で時間をつくり、

現場で何が起きているのか。

何に困っているのか。

何を変えてほしいのか。

私たちに直接伝えてくださいました。

では、私たちは何のためにそこにいたのでしょうか。

私は、ここが大切だと思っています。

話を聞いた以上、その声を持ち帰るのは、聞いた側の役割ではないでしょうか。

国で変える必要があるものなら、国会議員がつなぐ。

県でできることなら、県議会へ持ち帰る。

市町村で確認すべきことなら、それぞれの地方議員が自分の地域で確認する。

そして、自分たちの地域でも同じことが起きないかを考える。

現場で活動している人たちに、もう一度同じ説明をして、もう一度同じ要望を出してもらうことを前提にしてしまえば、せっかく直接話を聞いた意味が薄れてしまいます。

私はそう思います。

この場には、国会議員をはじめ、全国から約60人の仲間が集まっていました。

60人が同じ声を聞いたということは、

その声を全国のそれぞれの地域へ持ち帰ることができる

ということでもあります。

元に戻す。そして、さらに強くする

今回、いろいろな立場の方から話を聞きました。

分野は違っても、共通するものがありました。

まず、被災した地域を支えること。

暮らしを元に戻すこと。

事業を再開できるようにすること。

そして、それだけではありません。

同じ災害が起きたとき、同じ被害を繰り返さない。

以前よりも強い地域をつくる。

そのためには、

原状復旧だけでいいのか。

支援者を支える仕組みはあるのか。

情報共有はできるのか。

災害廃棄物の場所は決まっているのか。

福祉施設の電源は確保できるのか。

地域の建設業を将来まで残せるのか。

農業を次の年までつなげられるのか。

一つずつ問い直す必要があります。

聞くことを、目的にしない

この日の話を聞いて、

「大変ですね」

「勉強になりました」

だけで終わらせてはいけないと思っています。

今回、被災地の皆さんが、非常に忙しく、大変な状況の中で時間をつくってくださいました。

その意味を生かすのは、私たちです。

支援する。

元に戻す。

さらに災害に強くする。

そして、今回聞いたことを、それぞれが自分の地域へ持ち帰る。

制度を確認する。

備えを見直す。

必要なら提案する。

国で動かすべきものは国へつなぐ。

県で動かすべきものは県へつなぐ。

市町村でできることは、それぞれの地域で動かしていく。

聞くことが目的ではない。

持ち帰り、動かすところまでが、私たちの役割だと思います。

今回聞いた現場の声を、私自身もあわら市へ持ち帰ります。

そして、

「もし同じことがあわら市で起きたらどうなるのか」

一つずつ確認していきたいと思います。

現場で聞いた声を、その場で終わらせない。

それが、時間をつくって話してくださった皆さんに対して、私ができる最低限の責任だと思っています。

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