地域で守り続ける戦争の記憶|金津地区戦没者慰霊祭に参列して
令和8年8月20日、金津地区戦没者慰霊祭に参列しました。
金津神社の境内には、「金津地区戦没忠霊塔」があります。
普段、神社を訪れることがあっても、この忠霊塔がどのような思いで建てられ、地域の中で守られてきたのかまで考える機会は、決して多くありません。
しかし、この場所には、戦争によって亡くなられた金津地区の方々の記憶があります。
今回の慰霊祭には、ご遺族をはじめ、地域の区長、各種団体の皆さん、県議会議員、市議会議員などが参列し、198柱の戦没者の御霊に祈りを捧げました。
金津地区から戦地へ向かった198柱
祭典では、金津神社宮司による祭詞が奏上されました。
その中で改めて感じたのは、ここに祀られている一人ひとりにも、それぞれの暮らしがあったということです。
家族がいて、故郷があり、日々の生活がありました。
その暮らしを離れ、戦地へ向かい、帰ることのできなかった方々がいます。
「198柱」という数字だけを見ると、一つの数字として受け止めてしまいます。
しかし、その一つひとつに人生があり、家族があり、待ち続けた人がいた。
そう考えると、数字の重みはまったく違って見えてきます。
戦後81年、記憶は少しずつ遠くなる
昭和20年8月15日の終戦から、今年で81年になります。
慰霊祭の中でも、
「戦争の記憶が薄れる中、平和への願いを絶やさず、次の世代へ確実に継いでいく」
という趣旨の言葉がありました。
戦争を実際に経験した方々から、直接その話を聞くことのできる機会は、これからますます少なくなっていきます。
だからこそ、こうした慰霊祭を続ける意味も、少しずつ変わってきているのではないでしょうか。
かつては、亡くなられた家族や仲間を直接知る方々が集まり、慰霊する場だったのかもしれません。
これからは、それに加えて、
戦争を知らない世代が、その記憶を受け取る場
としての役割が、さらに大きくなっていくように感じます。
「平和」は当たり前にあるものではない
追悼の言葉の中に、心に残った言葉がありました。
「平和とは誰かから与えられるものではなく、みんなで築き上げていくものであります。」
私も、その通りだと思います。
戦争から81年が経ち、私たちの生活の中で「平和」は当たり前のもののように感じられることがあります。
しかし、その当たり前を守るためには、まず過去を知ることが必要です。
何があったのか。
どれだけ多くの人が亡くなったのか。
そして、残された家族がどのような思いで生きてきたのか。
過去を知ることは、悲しい出来事を繰り返し振り返るためだけではありません。
これからの社会をどうつくっていくのかを考えるためでもあります。
地域に残る「記憶の場所」
今回、私がもう一つ大切だと感じたのが、金津神社境内に戦没忠霊塔が残されていることです。
慰霊祭が行われ、地域の方々が集まり、玉串を捧げ、手を合わせる。
そして、それを毎年続けていく。
こうした一つひとつの積み重ねそのものが、地域の記憶を次の世代へつないでいるのだと思います。
地域には、お祭りや伝統行事、建物、石碑など、さまざまな歴史が残されています。
普段は何気なく通り過ぎている場所にも、
「なぜ、ここにあるのか」
「誰が守ってきたのか」
という物語があります。
金津地区戦没忠霊塔も、その一つです。
誰かが伝えなければ、記憶は残らない
先日のあわら市戦没者追悼式でも、戦争の記憶を次の世代へどうつないでいくのかについて考えました。
今回、金津地区の慰霊祭に参列し、改めて感じたことがあります。
大きな式典だけで記憶が残るわけではありません。
地域の中で慰霊祭を続けること。
忠霊塔を守ること。
子どもや孫の世代に、その場所がなぜあるのかを話すこと。
そうした小さな積み重ねによって、地域の歴史は受け継がれていきます。
戦争を経験していない私たちだからこそ、
「知らない」で終わらせるのではなく、
知ろうとすること。
そして、知ったことを次へ伝えていくこと。
それも、今を生きる私たちにできることではないかと思います。
198柱の御霊に、改めて哀悼の誠を捧げます。
そして、この金津の地に残る記憶が、これからも次の世代へ受け継がれていくことを願います。
